試験前日に読んでも読まなくてもいい内容を書いてみる。
明日(8月24日)は、社労士試験が実施されます。受験生の方、頑張ってきて下さい!
…などと人ごとのように書いていますが、私も当初は今年の試験を受けるべく、準備を進めてきました。
今年はこんな教材を購入したりして、昨年の雪辱を晴らそうと考えていたのですが…残念ながら諸事情でどうしても勉強時間を確保できず、今年の受験は断念することにしました。
試験後に「今年は受験しませんでした!」とか書くと、「本当は受けたのに試験当日の結果が悪かったから受けなかったことにしたんだろ!」と思われるのが嫌なので(自意識過剰)、あらかじめ試験日前に書いておきます。
昨年は史上最低の合格率・合格者数でしたし、例年では受かっているはずのボーダーライン上の受験生がブルブルと振り落とされた年でした。
今年はその反動で、合格率・合格者数は増えるのではないかとも言われています。ですから、今年の社労士受験生はチャンスですよ!
人生、トントンだ。
さて、試験日前にこんなこと書くと身も蓋もないのですが、試験に受かること・落ちることって、そんなに重要なことではないのではないでしょうか。
人の数倍頑張って勉強したにもかかわらず落ちてしまう人がいます。その反対に、それほど勉強していない人がなぜかポンと受かってしまうこともあります。
周りからも実力者と認められている人でも、選択式の1点で涙を呑んだり…
これはなぜなのか、単に運が良かった・悪かったで片づけていいものなのでしょうか。
試験結果だけを見たら、どうみても神様は不公平なんだな、と思うときがありますよね。でもそれは、社労士の合格・不合格だけにスポットをあてて考えているから、不公平だと思うのではないでしょうか?
社労士試験の合格を目指して必死に頑張っているからこそ、その合格・不合格が全てだと思ってしまうのは無理もないことかもしれません。
合格すれば、何百時間も費やして勉強してきた努力が報われる。社労士として活躍できる。一方、落ちてしまえばその努力が水の泡…
でも、果たしてそうなのでしょうか?不合格だったら、試験勉強に費やした時間は本当に無駄になってしまうのでしょうか?
そして試験に合格したら本当に報われるのでしょうか?社労士としてのバラ色の人生が待っているのでしょうか?
もしかすると、何かを得ることで何かを失っているかもしれません。
逆に、何かを得られなかったことで、何か貴重な別のものを得ることができたのかもしれません。
そう考えると、受かろうが落ちようが「人生トントン」なのかもしれませんよ。
それならば、「試験を受ける」という経験を楽しんで、結果なんて気にせずに受けてきたらいいんじゃないかな、と思います。
以上、昨年選択式で1点足らずに足切りを食らった男の戯言でした…